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To live on your own. 私には、私の道がある

いろんな生き方、働き方について書きます!

アメリカ留学について聞かれた良い質問 後編

「アメリカに留学して良かったことってなに?」

 

 

そう聞かれて、答えた「言葉はツール、道具であること」を実感したこと

 

相手を理解しようという気持ちがなければ、意味は通じても、気持ちは通じないということが

わかったこと。

 

 

 

そしてもう1つ。

 

 

それは、仲良くしていた、タイ人のお友達と、イラン人のお友達と、

空き時間に、カフェテリアでおしゃべりをしていました

 

 

いつのまにか話題は、「アメリカの悪口」

 

 

そこへmアメリカ人の友達がやってきて、

「ハイ、何話してたの?」

 

と聞いてきました

 

 

とっさのことと、その子の笑顔につられ、つい

「うん、アメリカってこんなところが、ダメだよねって話してた」

と答えました

 

 

すると、彼女から笑顔が消え、怖い顔になりました

 

「えっ、じゃああなたたちはなんでアメリカに来たの!?」

と怖い顔のまま聞いて来ました

 

 

「いや、あのー英語を勉強したいと思って」

 

 

「そうだよね、そうやってアメリカには世界中から留学生が来るんだよ

それはね、アメリカが素晴らしいからだよ 私はアメリカを世界ナンバーワン、にだと思ってるの

だから、アメリカの悪口言うなら帰ったら?」

 

 

シーンとなりました

 

誰も反論できませんでした

 

 

 

じつはこの女の子、左手の薬指に婚約指輪をしていました

 

つまり、卒業と同時に結婚することが決まっていて、大学進学もしない

予定の、普通の女の子です

 

 

普段は、そんな真面目な話もしないのにこの時に血相を変えて怒ったので、

本当に驚いたのです

 

 

普通の高校生が、

「私は私の国を世界ナンバーワンだと思ってるから、悪口言うなら帰って」

って、言えますか?

 

 

日本人はきっと言えないな、まず私が言えないな、とおもいました

 

 

この愛国心

国への信頼。

いま考えてみれば、大学進学しない、普通の高校生だから、

他の国のことも知らないから、ここまで強気に言えたのかもしれません

 

こんな人たちがたくさんいる国に、日本は勝てないだろうな、と思ったのは

覚えています

 

 

私だったら?

日本人だったら?

 

と言うことを、意識せざるを得ない環境に、若い時に行ったことが、

その後の私に、大きく影響を与えてくれたことは間違いありません

 

 

若い時こそ、海外へ行ってほしいと、本当に思います

 

良い質問をありがとう!

 

 

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上野博美

 

 

 

アメリカ留学について聞かれた良い質問

先日、高校の時のプチ同窓会がありました

 

 

飲み会の席で、男子同級生に聞かれました

 

 

「留学して何が良かった?」

 

 

まだ、アルコールがそれほど回ってない頭で、瞬時に考えました

 

 

「印象に残ってるのは2つかな

 

1つ目は、ペルー出身ホストマザーと、夕食後にテレビを見てたら、

ホストシスターである7歳の女の子と、3歳の男の子が、

「Good night」

 

と言って、彼らの両親である、ホストマザーとホストファーザーに、いつものように

ハグして、頬にキスをしているのを見てたんだよね

 

随分その光景にも慣れていたけど、つい、「親子でハグして、キスするんだねー」

と私が言ったんだよ

 

そしてら、血相変えて、「ひろみは両親にハグやキスはしないのか」

と聞くから

「しないよ」

と言うと、

「なんでしないんだ、両親を愛してないのか」

と聞かれて、「いや、愛してるけど、両親とはハグもキスもしない」って言ったら、

「信じられない」と言うんだよね

 

「どうやって両親を愛してるって伝えるんだ」と言うから、

「そんなことは言わなくてもわかる」

 

って言ったら、ますますわからないって顏されたんだよね

 

お互いに、コミュニケーションはできてる

意味はわかるけど、理解してもらえない、って経験をしたんだよ

あれは、英語さえできれば、分かり合えるって思ってたけど、お互いを理解しようと言う気が

なければダメなんだってわかった瞬間だったよ」

 

 

と私は言いました

 

 

つづく、、、

 

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高校生が、顔を上げて話を聞く瞬間 フリーランス講師の業務日誌③

今日は、福岡県内の高校にて、進路のお話をしてきました

 

対象学年は、1年生

 

16歳

なんと考えてみれば、2000年生まれ

 

1000年代生まれの私達とは違います

(区別するらしいです 若者は。1000年の人にはわからんよーって感じです)

 

 

進路の話を聞くのも初めて❗️

進路って、就職とか、進学とかやろ?と言う位の認識のようでした

 

 

私に与えられた時間は、60分。

場所は体育館。生徒は直座り。

生徒数約300名。

男子圧倒的に多し。

就職希望者多し。

 

 

私の最終ゴールは、

「生徒一人一人が、自分の未来を探りながら見つけるきっかけを

作ること」

 

 

カーン、とゴングが鳴った気がしました(笑)

 

 

笑顔で、

でも生徒の反応は、鋭く見ていたつもりです

 

 

その中で、最も

「顔を上げて聞いた瞬間」は、

 

 

三位  有給休暇の話をしたとき

二位  認知特性の話をしたとき

(視覚、聴覚、言語優位を見分ける質問)

➡︎「医師の作った頭の良さテスト」より

ちなみに、アメリカでは、10年以上前に、大学院の教育学部

教えられていることだそうです

 

そして、第一位は、

 

 

「大人の半分は若者に説教するけど、

残りの半分は、説教しない」と言った時!

 

 

でした‼️

 

 

いやーこれは私は事前に用意してたわけではありませんでした

 

ただ、大人とコミュニケーション取らない若者が多く、

その理由をずっとどこかで考えていたのだと思います

 

 

そして、思い当たったのは結局自分の体験。

 

私も説教する大人は嫌だったなーと言うもの。

 

そこで、高校生に「カマ」かけました

 

「みんなは、大人なんか話したら、すぐに説教されるって思ってるのかもしれないけど、、、」

 

ここで、「おっ」と、多くの男子生徒の頭が上がりました

 

「やっぱり、、、」(内心)

 

 

じゃあ、言ってやれー

 

 

「でも、半分の大人は説教するけど、半分の大人は説教しないよ」

 

じゃあ、どうするんだ?

と言う、高校生の心の声が聞こえました

 

(言ってやれー私も、そうなんだー)

 

「説教しない大人は高校生となんで話すか?それは、みんなから教えてもらいたいんだよ」

 

(へ〜〜〜)

 

と言う声が聞こえた気がしました

 

「私も、以前娘が高校生の頃は、娘に聞けば高校生のことはだいたいわかったけど、

今は大人になってるから、みんなに逆に何に興味があって、何にハマってるのか、

教えてほしいからね」

 

 

高校生が、ちょっと「ドヤ顔」に見えました

 

 

講演は、一期一会。

相手があってのもの。

 

だからこそ、反応を見ながら、自分の引き出しの中からとっさに

出せるものがないといけないのだと思っています

 

 

それが、今日は当たりました

 

これで、ちょっとは大人に心を開き、ついでに色々と教えてみらう若者が増えるといいな、と

思いました

 

 

いつもいつも、当たるわけではありませんが、試行錯誤、変化を見抜き、

常に自分が変化できるよう、これからも頑張ろうと思います

 

 

大人のみなさん、若者へのお説教はほどほどに、、、

皆さんも、お説教は嫌だったはずですから、、、

 

 

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講演後のたいやきくん、最高でした 

上野 博美

 

 

私の原点

ちょうど一年前にFBに書いた文章に、加筆修正をしました

 

【私の母】

 

今年78歳の母親
今でも現役で、「洋服店」を経営しています


44歳で店を開店
しかし、21歳で会社員だった父と結婚してからずっと、
「洋裁」を内職として続けていました

 

私が幼いころから、いつも何かを「縫って」いたのを
覚えています

私はお正月に着れる、妹とおそろいや、色違いの
新しい洋服を、心から楽しみにしていました
もちろん母の手作りです

 

そして、同じ社宅の奥さんたちの洋服を縫っては、
「お代」を頂いていたのだそうです
(おそらく、小額でしょうが)

 

いくつかの洋服は写真と共に私の記憶に鮮明に残っています

 

その母が、7歳の頃実の母親を結核で亡くした、と言う
話はずいぶん前に聞きました

 

その後父親(私の祖父)は、再婚し、4兄弟(二人の兄と
妹と母)は、継母に育てられたそうです

 

長女だった母親は小学校5,6年生の頃から、継母の
料理の手伝い、そして洋裁(これが母の原点と
なったのは皮肉ですが)の手伝いをさせられたそうです

 

兄たちは遊んでいても、他の兄弟は全員親戚の家に
遊びに行っても、母だけは継母や父親と一緒にいつも
家にいて、家事をしてきたと言っていました

 

母が、気が強く、継母に反発していたからかも知れません
今で言えば「虐待」のようなこともたくさん経験したそうです

私が幼い頃は、その「おばあちゃん」(私にも血のつながりは
ないのですが)の家に泊まりに行く等していたため、
母は私たちには一切「虐待」の話は教えてくれませんでした

 

しかし、その継母がおじいちゃん(母にとってのお父さん)が
残した全財産(不動産や貯金など)を全て失い、疎遠になって
しまった後、私たちに話してくれました

 

「柱に縛り付けられて、バケツで冷たい水を
何杯もかけられた」

「怒った継母が投げた和裁用のはさみ(とても大きい)
が飛んで来て、手に刺さり、今でも傷が残っている」

等、きりがありません

 

それでも母は、くじけなかったようです


そして、自分の夢である大学進学や、上京して(家を
離れたかった)働く事を、とても昔堅気の父親から、ことごとくつぶされた時、
「この家を出るためには、結婚をするしかない」

 

そう思って、幼馴染で、亡くなった母親が親しくしていた
お友達の息子の一人であった父と結婚をします

 

「お父さんは、良く遊んでいたから、家にはいなかったけど、
自分が育った家にはなかった、自由があった 言いたい事を
言わせてくれたし、けんかもできたから あなたたちを育てる
上では、夫婦の意見は一致していたし」

母はいつもそう言います

 

お陰さまで父も81歳になりますが、元気でした

昨年初めて大病をし、入院しました

 

その一カ月前に、母が脳梗塞で倒れ、一カ月入院

その後、ペースメーカーを入れる手術もしました

 

高血圧の持病があった母ですが、ずっと元気でいたので、私たちもショックでした

 

 

父は、その母の退院の日に入院

肺に穴が開いていて、3分の1を切除しました

78歳まで、仕事を続けました
(会社員を途中でやめ、自営業をしていました)

 

今でも夫婦げんかをしていますが・・・(苦笑)

 

私たちからすれば、想像を絶する子供時代を過ごしてきた
母から教えられたことは、私の生き方の根本にあります

なぜ今まで人生をあきらめず、78歳の今でも現役で
近所のお年寄りたちに元気を与え続けられるのか・・・


(この洋服店は、近所のお年寄りの憩いの場になっています
皆さん洋服を買いにきたり、リフォームを頼むと言うより、
なぜか、卵を買いにきたり、お茶を飲んでお菓子を食べに
来られています それを30年以上近く続けている母には、本当に
感心します)

ただ、母も術後は全く元気が無く、「あの時死んでいれば良かった」と

今まで聞いたことがないほどのネガテイブなことを言いました

 

あれから1年

 

その日に電話をしました

母は自分が倒れた日にちを覚えておらず、

「もうそんなに経ったんだね」

と言うその声も、術前と同じくらいのはりのある声に戻っていました

本当に良かったです

ありがたいです

 

今までできなかったことをこれから思う存分やってほしいと思います

 

 

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ボジョレーヌーボー美味しかったです!

 

上野 博美

フリーランス講師の業務日誌② 講演デビュー

忘れもしません

 

 

あれは、以前勤務していた、エアラインスクールでいただいた、

短期大学生にマナーのお話をしたのが、

「講演デビュー」

 

 

もう、24年ほど前になります

 

 

もちろん、準備はしっかりした、つもり、でした

 

原稿も書いて60分間、お話ができるようにしたつもりでした

 

 

ところが、事前の先生との打ち合わせの段階から、緊張のため、

心臓はバクバク

喉が乾くので、出してくださったお茶をガブガブ飲み、

先生との打ち合わせも上の空。

 

私、緊張してる、と思うとさらに緊張する、、、

そんな状況でした

 

 

そして、いよいよ壇上に上がる時間となりました

 

メモとペンを片手に、壇上に上がると、

そこは階段教室。

ざっと、300名の女子学生が目の前にいました

顔、顔、顔、、、

それを見ただけで、頭の中に入れていたはずの内容が、

全て飛びました

 

 

それでも、みんなが私を見ています

普段15名くらい相手には授業を

していたので、言葉はかろうじて出たようです

 

何せ、事前に講師料をいただいていたので、帰るわけにも行きません

 

 

そして、何とか60分間壇上には立っていました

 

終了後、先生とのご挨拶もそこそこに、車で帰路に着きました

 

 

自己嫌悪の嵐

 

申し訳ない

何もできないのに、なぜ引き受けてしまったんだろう

お金を返すこともできる

でも、返したところで、あの時間は戻ってこない

 

 

何より、私は一体何を話したんだろう、、、

 

 

記憶がないのです

 

 

今でも思い出せません

 

それほど、緊張してしまったのです

 

 

車の中で、一人反省会をしても、その時に考えられたことは、

 

1,準備不足

自分が話すことを、もっとリハーサルまでやって、講演に臨む

 

2.アドリブなんて絶対に無理だから、原稿を丸暗記すること

 

3.人数の多さに慣れる

普段の少人数から、大人数に慣れるしかない

 

 

そのくらいしか、思いつきませんでした

 

いただいたお金以上のものを返すのがプロ

そう、客室乗務員時代の先輩に言われていたのに、

全くできていないことが、悔しくて悔しくて、涙が出ました

 

 

二度とこんな講演はしない、そう決意しました

 

仕事の失敗は仕事で取り返すしかありません

 

 

当時、私は仕事を辞めるわけにはいかない理由もありました

 

 

次の講演の機会を、別の大学で頂いたのは、独立後まもなくの

ことでした

 

 

続く、、、

 

 

誰でも、最初からうまくいくわけありません

 

でも、悔しいという気持ち

背負っているものがある状況

温かく見守って、チャンスを下さる人たち

 

それがあって、ここまで仕事を続けて来られたように思います

自分の意志だけではなく、周りの人たち、そして引っ張られた感じがします

ただただ、必死だっただけかもしれません

 

 

上野博美

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 また、訪れたいホテルです

 

 

 

 

 

いじめられた経験 結末

昨日の続きです

 

いじめられても、「あなたは何も悪いことはしてない」

と言う、母の言葉で学校に行き続けた私。

今も決して忘れることができない出来事ですし、

自分に、よく頑張ったと言ってあげたい出来事ですが、その結末を

書きました

FB公開分に、加筆しています

 

 

【いじめられた過去 続き】

小学校四年生の時の、クラス全員の女子からの無視

一切口を聞いてもらえなかった時期

 

おそらく、私が女子ボスに学級委員選挙で勝ったからと言う理由

母の
「あなたは間違ってないんだから、学校を休む必要はない」


という言葉が励みとなり、休んだらまけという気持ちで、学校を休まず行きました

 

今考えてみると、毎日相当なストレスだったと思います

 

しかし、「負けず嫌い」と「正義感」の強い性格にはぴったりの言葉
「あなたは間違ってないんだから、学校を休む必要はない」という言葉に支えられました

 

もちろんいろんな性格の子供がいるので、「避ける」ことがベストアンサーの場合もあります

 

実際にうちの娘も、転校をした際、同じような目にあいかけたことがありました

幸いに先生もすぐに対応をしてくださり、
そんな流れに逆らってくれたお友達が一人いたおかげで、私のようなケースになりませんでした

 

 

半年ほど経った頃、私がもう一人の女子クラスメイトと
一緒に日直当番をしていました

 

みんなが帰った後に、黒板をきれいにしたり、教室の片付けをしていました

お互いに無言で。

 

一緒に黒板を並んで消していた時、
「私、おかしいと思う」とその女の子が言いました

「えっ?」

しばらく、女子が私に話しをすることがなかったので、空耳かと思いました

 

 

その女の子は、それでももう一度言いました

 

「私、おかしいと思うんだよね だってあなたは何にも悪くないのに、なんでみんな仲間はずれにするのかわからない 明日から私はあなたと口を利くから」

 

私はびっくりしました

 

どちらかと言うとおとなしい、優等生タイプ

 

でも今思えば芯がしっかりしたタイプの女の子だったからでしょう

 

嬉しかったのですが、ふと現実問題として考えました

 

「ありがとう 嬉しいけど、あなたが口を利いたらあなたも仲間はずれになるよ
私は大丈夫、慣れたから大丈夫だよ私と口を利かない方がいいよ」

と言っていました

 

私は、5年生になればクラス替えがあって、いじめっ子とは、

別々のクラスになれる、と期待していたのです

そして、私のような辛い思いを誰にもしてほしくなかったのです

 

「いや、いい、仲間はずれになっても。
だってあなたと話せばいいし」

そう言ってくれました

 

「ありがとう。本当にありがとう」

そう言って一緒に笑いながら帰りました

 

 

翌日。
私と久美子ちゃん(その女の子の名前です)
が話しているのを周りの女子が見て、一人、また一人、と私と話す人が増えていき、

ボスとその取り巻きの女の子を除き、全員が私と話していました

 

その次の日。
ある女の子が言いました

「あの人(ボス)のせいで、あなた仲間はずれに
なったんだから、今度はあの人(ボス)を仲間はずれにしようよ」

 

びっくりしました

 

「いや、やめて。私も相当辛かったから、やめて」

と言いました

「じゃあ三日間だけやろうよ」

三日間、クラス全員の女子がボスと口を利きませんでした

彼女はもともと私とは口を利いていませんから、取り巻きだけ。
その取り巻きも、みんなから仲間はずれにされるのが怖くて、私たちのグループに入ってきました

 

ボスいじめは、3日で終わりましたが、その後このボスだった女の子は、

2度とスポットライトを浴びることはありませんでした

どこにいるのかさえわからないほど、存在感のない女の子になりました

 

人は信用できない
その時の状況で変わる
友達より自分が大事なんだ

という事を実感しました

 

そこから、怖いものがなくなりました

人の目
世間体

そんなものより、自分が信じた道を行けばいい

いじめられた経験からわかったことです

 

私の生き方に少なからず影響を与えてくれた出来事です

人は人

自分は自分

人の生き方もいろいろです

いじめた経験でなく、いじめられた経験で
良かったと、私は思います

耐えている時に強くなったからです

 

家族がいれば、友達はいらないって思っていました

自分を信じて、わかってくれる人が一人でもいればいい

そう思っています


それは今も変わりません

ただ、今は多くの方々に理解していただいています

ありがたいと思っています

 

ただ、自分の信じた道を歩く
誰の目も気にしない

自分の生き方の軸が出来た、大きな出来事でした

 

一生忘れられない出来事です

 

いじめは未だになくなっていません

 

でも、自分の居場所は、学校だけじゃない

別の居場所があれば、ずいぶん救われます

 

そこから逃げ出してもいいと思います

 

あなたをわかってくれるたった一人の人がいれば、それでいいと

思います

 

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好運を感じる、虹🌈

上野 博美

いじめられた経験

以前、FBに書いた記事より

 

印象的だったようで、先日久しぶりにお会いした方から、

「いじめにあった経験があったんですよね」とこの記事を覚えてくださっていました

 

子育て世代の方、20代の方も印象に残るようです

 

決して許されることではありませんが、この経験以来、群れなくなった、のかも

しれません

 

人の変わり身の早さも、身にしみました、10歳で。

 

 

【いじめられた経験】

小学校四年生の時です
私は小学校三年の2学期に、父の仕事の都合で、
初めて転校を経験しました

 

活発な私は、あっと言う間にみんなと仲良くなれていたと思います

社宅に住んでいたので、そこで仲良くなったお友達もいましたから。

 

ところが、四年生の一学期。
三年生から、そのまま持ち上がった同じクラスメイト
たちが、「学級委員」に、私を推薦しました

 

私にしてみれば、驚きです

そして、もう一人、クラスの女子の「ボス」的存在の女の子も推薦されました

決選投票で、私が選ばれました

 

翌日、学級委員初日。
クラス全員の女子が、私と口を聞かなくなっていました

 

最初は
「私、なんか悪いことしたのかな」
と思っていた位だったのですが、さすがに翌日も
その状態が続き、「おかしい」と思いました

ノートに落書きされたり、もあったと思います

 

うちに帰り、母に言いました
「なんか仲間外れにされてるみたい」と。

母は、私の話を良く聞いてくれました
私も薄々気づいていたのです
私が学級委員になってしまったことが、原因だと。
それを、母に言うことができたから、良かったのだ
と思います

 

母は言いました

「多分○○ちゃんが(ボス的存在の子)、
選挙で負けたから、悔しいんだろうね。
○○ちゃんと明日放課後でも話してみなさい」と。
「先生にも言っとくから」とも言いました

 

翌日、○○ちゃんに「話がある」と言って、放課後に
話し合いの場を設けました

 

私は一人。


相手は「取り巻き」を含め、3人、です

 

「あなたが、私と口を聞かないようにって言ったん
でしょう?」

 

「知らない」

 

「私、学級委員なんか辞めていいから、○○ちゃんがやったらいいよ」

 

「・・・」

完全に物別れです

 

母に、報告し、「学校行きたくない」
と言いました

 

しかし、母は言いました

 

「あなたは何も悪いことはしてない。
悪いことをしてるのは、向こうだよ。
休むなら向こうが休まないといけないんだよ
あなたが休むことは
ないから」

 

言ってることはわかります


でも、学校に行ってもいつも一人。


そんな状態で、毎日過ごすことがどれほど辛いか、
お母さんにはわからんのよーと言いました

 

それでも、休むのは自分が負けを認める気がしました
私は、学校に行き続けました

 

強かったと言われれば、そうかも知れません
でも、本当に毎日嫌でした

 

ただ、男子はみんな普通に接してくれました
以前取っ組み合いのけんかをしていた男の子は、
いじめのことに気づいていたのだと思いますが、
私が一人でいると話しかけてくれたり、私も男子と
休み時間には遊ぶようになりました

 

いじめを母が報告した担任の先生は
「わかっています。もう少し様子を見させてください」
と言っただけ、だったそうです

 

女子だけでグループを作らないといけない時には、先生が指示するのを待ちました
私から女の子に話しかけることは、しなくなっていました

 

その生活にもだんだん慣れ、3学期にも入り、
「5年生になれば、クラス替えがあるからそれまで我慢しよう」と思えるほどになっていました

私には、ドラム、と言う習い事があり、小学校では珍しい
吹奏楽部にも入っていたので、クラス以外で人と話す機会がたくさんあり、夢中になれるものがあった、と言うのも頑張れた大きな理由だと思います

 

クラス以外、学校以外の居場所を持っていたことが、救いだったのでしょう

 

クラス以外では、自分が受け入れられていると言う事実。
だからこそ「あなたは何も悪くない」と言った母の言葉
は正しい、と思えたのでしょう

 

しかし、その後事態が急変します

 

この続きは、次回に書きます

 

思い出しても、「良く、学校に行き続けたな」
と、少々苦しくなりました(^_^;)

 

いじめ問題は今も続いている大きな問題ですが、
私もいじめられた経験者です

事実を書いて、読んでいただくだけでも、何かのお役に立てれば幸いです

 

 

上野博美