To live on your own. 私には、私の道がある

いろんな生き方、働き方について書きます!

私の原点

ちょうど一年前にFBに書いた文章に、加筆修正をしました

 

【私の母】

 

今年78歳の母親
今でも現役で、「洋服店」を経営しています


44歳で店を開店
しかし、21歳で会社員だった父と結婚してからずっと、
「洋裁」を内職として続けていました

 

私が幼いころから、いつも何かを「縫って」いたのを
覚えています

私はお正月に着れる、妹とおそろいや、色違いの
新しい洋服を、心から楽しみにしていました
もちろん母の手作りです

 

そして、同じ社宅の奥さんたちの洋服を縫っては、
「お代」を頂いていたのだそうです
(おそらく、小額でしょうが)

 

いくつかの洋服は写真と共に私の記憶に鮮明に残っています

 

その母が、7歳の頃実の母親を結核で亡くした、と言う
話はずいぶん前に聞きました

 

その後父親(私の祖父)は、再婚し、4兄弟(二人の兄と
妹と母)は、継母に育てられたそうです

 

長女だった母親は小学校5,6年生の頃から、継母の
料理の手伝い、そして洋裁(これが母の原点と
なったのは皮肉ですが)の手伝いをさせられたそうです

 

兄たちは遊んでいても、他の兄弟は全員親戚の家に
遊びに行っても、母だけは継母や父親と一緒にいつも
家にいて、家事をしてきたと言っていました

 

母が、気が強く、継母に反発していたからかも知れません
今で言えば「虐待」のようなこともたくさん経験したそうです

私が幼い頃は、その「おばあちゃん」(私にも血のつながりは
ないのですが)の家に泊まりに行く等していたため、
母は私たちには一切「虐待」の話は教えてくれませんでした

 

しかし、その継母がおじいちゃん(母にとってのお父さん)が
残した全財産(不動産や貯金など)を全て失い、疎遠になって
しまった後、私たちに話してくれました

 

「柱に縛り付けられて、バケツで冷たい水を
何杯もかけられた」

「怒った継母が投げた和裁用のはさみ(とても大きい)
が飛んで来て、手に刺さり、今でも傷が残っている」

等、きりがありません

 

それでも母は、くじけなかったようです


そして、自分の夢である大学進学や、上京して(家を
離れたかった)働く事を、とても昔堅気の父親から、ことごとくつぶされた時、
「この家を出るためには、結婚をするしかない」

 

そう思って、幼馴染で、亡くなった母親が親しくしていた
お友達の息子の一人であった父と結婚をします

 

「お父さんは、良く遊んでいたから、家にはいなかったけど、
自分が育った家にはなかった、自由があった 言いたい事を
言わせてくれたし、けんかもできたから あなたたちを育てる
上では、夫婦の意見は一致していたし」

母はいつもそう言います

 

お陰さまで父も81歳になりますが、元気でした

昨年初めて大病をし、入院しました

 

その一カ月前に、母が脳梗塞で倒れ、一カ月入院

その後、ペースメーカーを入れる手術もしました

 

高血圧の持病があった母ですが、ずっと元気でいたので、私たちもショックでした

 

 

父は、その母の退院の日に入院

肺に穴が開いていて、3分の1を切除しました

78歳まで、仕事を続けました
(会社員を途中でやめ、自営業をしていました)

 

今でも夫婦げんかをしていますが・・・(苦笑)

 

私たちからすれば、想像を絶する子供時代を過ごしてきた
母から教えられたことは、私の生き方の根本にあります

なぜ今まで人生をあきらめず、78歳の今でも現役で
近所のお年寄りたちに元気を与え続けられるのか・・・


(この洋服店は、近所のお年寄りの憩いの場になっています
皆さん洋服を買いにきたり、リフォームを頼むと言うより、
なぜか、卵を買いにきたり、お茶を飲んでお菓子を食べに
来られています それを30年以上近く続けている母には、本当に
感心します)

ただ、母も術後は全く元気が無く、「あの時死んでいれば良かった」と

今まで聞いたことがないほどのネガテイブなことを言いました

 

あれから1年

 

その日に電話をしました

母は自分が倒れた日にちを覚えておらず、

「もうそんなに経ったんだね」

と言うその声も、術前と同じくらいのはりのある声に戻っていました

本当に良かったです

ありがたいです

 

今までできなかったことをこれから思う存分やってほしいと思います

 

 

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ボジョレーヌーボー美味しかったです!

 

上野 博美